祭りのあとさき

セイウンスカイについて記したエッセイをもう一編再掲。
これは98年のダービーについて書き綴ったもの。
同年の優駿エッセイ大賞で佳作に入選、優駿誌上に掲載されました。
この原稿がきっかけとなり、プロのライターを志すことになりました。
色んな意味で、思い出深い一文です。

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祭りのあとさき  6/7 東京優駿-日本ダービー-(GI)

 かなり冷えた一夜だった。ある人は寝袋にくるまり、ある人々は麻雀卓を囲み、ある人は眠そうな目で新聞に見入り、ある人々は雑談で盛り上がる……。青白く仄暗い蛍光灯に照らされ、じりじりとした熱気が冷気の下に澱んでいた。
 ダービーは「お祭り」なのだそうだ。確かに、徹夜で競馬場前に居並ぶ人々の周囲には、祭りの前の一種独特な空気が漂っていた。
 私はその中に身を置いている事に、少なからず満足していた。去年拾えなかったものを、今回は“その場”に居合わせることで拾えるに違いない、という半ば確信めいた気持ちと、いや何があっても拾ってみせる、という何か借りを返すような気持ちとを抱いて、人々の間に身を横たえていた。

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 去年、私にとって初めてのダービーは、遠い空の下での出来事だった。しかも、レース前に「私の物語」は終わっていた。テレビ画面の向こうで、一人の騎手が馬を下り、一頭の馬と共に去っていった。あまりに突然な終幕の後にも容赦なく時は移り、二分と二十何秒かの後には二冠馬が誕生していた。その間、私はただただ呆然とし、友人宅のテレビの前で、次々とビールをあおるしかなかった。去年のダービーは、言わば「あとがき」でしかなかった。肝心の「物語」は空白のまま残され、何を持ってしても埋めることができず、あっという間に一年は過ぎた。

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 今年のダービーが近づくと、私は自ら「物語」を手にしようと躍起になった。もちろん、それは純粋に「お祭り」を楽しむ為の準備でもあったのだが。友人達を巻き込み、夜中までせっせと横断幕を作った。友人達は半ば呆れながらも、一緒に飲んだり、騒いだりしながらつき合ってくれた。応援馬の勝負服と揃いの色のリボンを作ったり、横断幕と同じデザインでTシャツを作ったりもした。高校や大学時代の文化祭、大学祭を彷彿とさせ、それは結構楽しい作業だった。
 
 夜中の競馬場前の列に加わったのは、そうして作った横断幕を確実に張る為だったが、同時に、そうして費やす時間が「物語」へと繋がっていくのなら、と自分を追いつめていたのも事実だった。そしてその時間は、確かに自分の中で「お祭り」に向かう緊張感、高揚感へと変容し、弦のようにきりきりと張りつめられていった。寝不足もあって、私はだんだんとハイになっていったが、一方でそんな自分を面白がってもいた。

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 周囲のざわめきで私は目を覚ました。いつの間にか、浅い眠りに落ちていたのだ。空が白み始め、人の動きが慌ただしくなっていた。しかし、開門時刻が近づくに連れ、心なしか人々の声のトーンが落ちていくようにも感じられた。それに反して、目に見えない緊張感に煽られるように、整理係員のハンドマイクの声は上ずっていった。
 
 いよいよ開門。人の列は何かに弾かれたかのようにばらけ、それぞれの目的に向かって走り出した。半ばパニックのような状況の中で、私もまた、がむしゃらに走り出してしまっていた。結果、道に迷う事になってしまったが、職員らしき人に道を教えてもらい、ようやく私は横断幕受付の列に加わることができた。残り僅かとなっていたパドックのスペースに、人の手を借りながら何とか横断幕を張り終えると、どっと緊張が解け、私はその場にへたりこんでしまった。
 
 やがて、ぽそぽそと細かい雨が降り出した。雨の中、府中名物と勧められた「きねうち麺」をすすった。既にメインレースのような熱気に包まれたパドック脇で、第一レースに出走する馬達が周回するのを、私はぼんやりと眺めていた。

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 今年、「私の物語」の主役はセイウンスカイ。ジュニアカップをテレビで見た私は、セイウンスカイに一目惚れしてしまったのだ。
 その後、去年の二冠馬サニーブライアンの引退式の日、好きだった彼の最後の姿を見る為、私は中山競馬場に足を運んだ。その日の中山のメインレースが弥生賞だった。セイウンスカイは、サニーブライアンを彷彿とさせる逃げっぷりで、二着に粘り込んだ。ゴール寸前、スペシャルウィークに差されてしまった彼だったが、スケールの大きな走りと、彼に従ってなびく白い尾とが、私の心を捕らえて離さなかった。芦毛馬に初めて熱を上げた私は、彼を「きたねえ芦毛」あるいは「いるか馬」と呼ぶことにし、今年のクラシックレースは彼を追いかけようと心に決めた。
 そして、彼は私の期待通り、見事皐月賞を掌中にした。私の熱狂度はますます上がっていった。「優駿」の表紙を飾った彼を見る度、「何て素敵な馬なのだろう」と思わず溜め息をついてしまう程だった。殆ど、アイドルに熱を上げる中学生と同じレベルである。

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 パドックに張った横断幕には「蒼穹の果てをめざせ SeiunSky」という文字を入れていた。「蒼穹」などと、わざわざ難しい語を使って悦に入っているあたり、いかに私が冷静でないかが分かろうというものだ。しかし、それをパドックの反対側から眺め、「お祭り」に酔っている方の私は、すっかり満足していた。
 
 午後になると雨は止み、人は増える一方だった。これまでにない程の人混みに揉まれ、その熱気に頭がぼうっとする程であった。やがて、パドックとスタンド前を往復するのも容易ではなくなり、午後になって合流した職場の仲間達と、ゴール板近くに陣取ることにした。しかし、既にそれも難しく、ようやく確保した位置からでは、つま先立たなければターフビジョンもまともに見る事ができなかった。そんな中にあっても、いよいよ私の心は騒ぎ、肌は粟立った。
 
 ダービーの発走時刻が近づき、雲が少し切れてきた。薄蒼い空が雲の向こうに見え隠れしている。私はそれを吉兆と受け止めた。彼の馬券を手のひらの間に挟み、力を込めた。
 あとは、全て無事で……。
 空を見上げると、微かに差し込む陽の光で、雲の端が白く輝き始めている。歓声が高まり、全てが沸きたつ。ファンファーレが高らかに鳴り渡った。そして……。
 
 ─肝心のレースの事は、実のところあまり記憶にない。覚えているのは、彼が少しゲート入りを嫌った事、意外にもキングヘイローがハナに立った事、最後の直線、力尽きた彼を、スペシャルウィークが素晴らしい速さで交わしていった事位だ。気がつけばレースは終わっていて、武騎手を讃える声と拍手とが周囲にあふれていた。
 二分三十秒足らず。全てがこの短い時間に一気に昇りつめ、そして「お祭り」は幕を閉じた。彼は無事、最後まで走り抜けていった。「私の物語」を連れて。白い尾の残像が、群衆の向こうをちらと過ぎていった。

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 余熱の中での最終レースも終わり、私は一緒に観戦していた仲間達と、横断幕を外しに行った。レース前には、七十枚程の横断幕に彩られ華やかだったパドックも、既に閑散としていた。一日で、私の横断幕の端は破れ、糊付けした文字は一部剥がれかけていた。
 
 それを畳み、パドックを去ろうとした時、若い二人組の男性が話しかけてきた。彼らもセイウンスカイを応援し、横断幕を張っていたと言う。「青雲スカイ」と書かれた彼らの横断幕は、はっきりと記憶に残っていた。メルヘンチックな雲の背景とは裏腹な文句が、妙に強烈な印象を私に与えていたからだ。「喰うか、喰われるか」。何故その文句なのかと訊ねる私に、彼らはセイウンスカイの父の事を口にした。種牡馬廃用の後、行方不明となってしまったシェリフズスターに因んだという。
 併せて彼らは「俺達の本気を見て下さいよ」と、スペシャルウィークとの馬連の馬券を差し出した。十四万円だった。額面がそのまま、馬への思いの深さを表すものではないと思いつつ、やはり驚かずにはいられなかった。
 対抗するように、横断幕と揃いの柄で作ったTシャツを私が見せると、彼らも得意気にオリジナルのTシャツを見せた。「セイウンス会」という文字と、十万円の単勝馬券がプリントされている、ように私には見えた。しかし、一緒に見ていた仲間達は後になって、溜め息混じりに私に言ったものだ。「凄いよなあ。あれ、よく見たらマジックで手書きしてあったんですよ」と。
 彼らと記念撮影をし、「菊花賞で、また会いましょう」と別れた。誰かに思いの丈をぶつけなければどうにも帰れない、という風情の二人組だった。別れた後、彼らはどこに帰るのだろう、と少し気になった。

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 疲れ切って、帰りのバスの中では、あっという間に眠りこけてしまった。が、眠りに落ちるまでの僅かな間、様々な人の顔、馬の事が頭の中を過ぎった。
 
 夜中の競馬場前で眠る人達。私に道を教えてくれた職員とおぼしき男の人。朝、横断幕受付の列に並んでいた人々。私の後ろに並んでいた人達の中には、張れずに持ち帰った人もいる筈だった。一緒に横断幕を張ってくれた人達。風邪をおして応援に駆けつけたという女の人。いろんな顔をした、人、人、人。
 そして、馬達。この日を目指していた、何千頭の見知らぬ馬。セイウンスカイに熱を上げる前には、他に応援しようと決めていた馬もいた。その馬はもう、この世にはいない。

 あの場所にいた人、いなかった人。いた馬、いなかった馬。
 
 去年の無念を晴らしたかったであろう安田富男騎手の姿は第九レースにはなく、去年のダービージョッキーである大西騎手は一日騎乗がなかった。
 一年前のあの日、一枠一番ゲートに入る筈だったあの馬─シルクライトニングは、未だ見えない再起の日の為、運動を始めていると噂に聞いた。同じ日、栄光に輝いたサニーブライアンは既にターフを去っている……。
 胸から何かあふれそうになった。が、その前に意識がすとんと暗いところに落ちていったようだった。

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 家に帰り着き、そのまま眠ってしまいたかったが、その前に風呂に入った。セイウンスカイと揃いにしようと、私はポニーテールに結った髪の先を白く染めていた。それを寝る前に落とさねばならなかった。髪を下ろし、洗い始めると、帰りのバスの中、あふれそうになった何かが、どっと堰を切ったように流れ始めた。嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか、分からないままに、それは流れ続けた。
 ただ一つ分かったのは、去年拾えなかった「物語」を、私は確かに手にしていたという事だった。

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繋ぎ止められぬもの (dis・trust)

「蒼穹の果て」に至る過程というのが、
初めてここにいらした方には理解しがたいかも知れません。
以前、私のHP(更新停止中)に掲載した天皇賞・秋についてのエッセイをここに再掲します。
これは、レース直後にはまとめきることができず、
3ヶ月以上経ってから、ようやく形になったものでした。
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繋ぎ止められぬもの (dis・trust)  10/31 天皇賞・秋(GI)

一般のスタンドも2階席からだと、コースの状況がよく分かる。
まるで土星の環のような茶色の帯が、緑の芝上に残っているのをはっきり確認することができた。
「あれが、仮柵跡というやつなのねぇ」と私は感心して友人に話しかけた。初めて、自分の目でそれを確認したような気がする。
なるほど、内側の綺麗な緑のコースが「グリーンベルト」で、セイウンスカイはあれに助けられたと言われてきた訳か。
時折吹き抜ける風。
入場門前で横になった前夜は殆ど眠れず、その風は心地よく柔らかに眠気を誘った。

去年のダービーの時には、あの帯はなかったのだなぁと私はぼんやり思った。あんなもの無い方がいいよなぁ。
勝ったとしても、またあれに助けられたと言われるのはゴメンだ。
君が勝つためなら、「私は」あそこを通っても文句は言わないけどさ・・・。

それに。札幌記念で差しの競馬を覚えたとされる君、セイウンスカイは今回逃げることはないだろう。
ということは、必ずしもあの緑の上を通って来られるとは限らないのだ。
私は目を閉じて、セイウンスカイが馬群を抜け出し先頭でゴール板を駆け抜けるシーンを想像しようとした。
突き抜けるような楽勝のシーンも想像できれば、全く伸びずに惨敗のシーンも浮かんできた。
夢の入り端のようなそのイメージに、私の心中はさざ波のように振れていた。

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今回はセイウンスカイの勝つ番。
スペシャルウィークとの対戦では必ず一方が勝利し、春天を終えた時点で星一つスペシャルウィークにリードされていた。
気がかりなのは、そのスペシャルウィークが万全とは言えない様子であったことだ。
京都大賞典でまさかの着外、追い切りでは条件馬に後れをとった。
私はその映像を、悲しく見遣った。
私は実のところスペシャルウィークが嫌いではない。彼に負けた時の言い訳を用意して欲しくなかった。
そんな馬ではない。まっすぐに王道を駆けてきた馬。
もしセイウンスカイが負ける時には、スペシャルウィークに負ける。そう確信していた。
直線でこの2頭が激烈な接戦を演じ、ハナ差でもセイウンスカイが先着する-というのが私の一番望んでいる結末なのかもしれない。

天気はすかっとした秋晴れ。晴天はセイウンスカイにとってゲンがいい。あの時も、あのレースも。
しかし、私の心は晴れなかった。秋天の一番人気。それが重くのしかかっていた。
しかも、明らかにそれは「支持」の数字ではなかった。「否・不支持」を無言で叫ぶようなオッズ。

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馬体重の数字に、場内がざわめく。セイウンスカイは-2㎏、スペシャルウィークは-16㎏。
セイウンスカイはもう少し絞れた方がよかったのでは、それにしてもスペシャルウィークのこの数字は…。
パドックに現れたセイウンスカイは随分と落ち着いていた。
細かく刻むようなステップや、時折首を振るような仕草は変わらなかったが、気持ちの余裕のようなものが感じられる。
一方、スペシャルウィークは外外を周回するのはいいのだが、今ひとつ歩様に勢いが感じられない。

パドックから急いでスタンドに移動する。本馬場入場に間に合った。ターフビジョンの映像に奇声の上がるスタンド。
本場馬に出てきたセイウンスカイは、パドックとは雰囲気が一変していた。明らかにエキサイトしている。
彼は前を行くダイワテキサスを突き飛ばすように接触、そのまま力一杯芝コースを駆けていった。
どよめきと「セイウン来るなぁ、負けろ~」という後ろの席からの叫び声。イヤな予感が背中を伝う。
一体、地下馬道をくぐる間に何があったのだろう?
待避所にてぐるりぐるりと周回している間も、興奮の醒めない様子で首を大きく上下に振る様子がターフビジョンに映されていた。

スペシャルウィークの返し馬の様子に「どうも軽いなあ」という声が耳に飛び込んでくる。
私の目にも、しっかり踏み込んでいない様に映った。「勝っても驚かないけど、勝ったら凄い馬だね」と私は周りの友人に漏らした。
矛盾した心境。
スペシャルウィークに勝たれたくなかったが、簡単に負けて欲しくもなかった。

スペシャルウィークの覇気の無さ。そして、セイウンスカイも何かを踏み越えようとしていた。
双方の馬ともに危うさを抱えているように伺えた。

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ファンファーレの後、セイウンスカイはゲート入りを嫌った。
7分、発走時刻は遅れ。
更にその2分後にはスペシャルウィークの優勝が確定していた。

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何度思い返しても、そのシーンは哀しかった。
実際には嗚咽も、涙も、私の外には出ていかなかったが。実体化されるには、靄のように判然としない感情と対象。

それは、セイウンスカイが敗れた事にではない。
敗れたことも、JCに出られなくなったことも、それは悔しい。やりきれない思いばかりがこみ上げてくる。
脱力感で数日は何もする気になれなかったほどだ。

私が哀しみを覚えたのは、あの黒い目覆い。
あれを被された時、彼が感じたのは、いきなり襲った暗闇だけではなかったのではないかということ。
単純に光を遮断するための色なのだろうが、その黒は私の上に不吉な影を落とした。
激しく抵抗するセイウンスカイ。
それを被されたセイウンスカイは、まるで処刑場に牽き出される罪人のようであった。

おそらく初めて被されたその目覆いの奥で。
彼の中の漠然としたゲートあるいはレースに対する不快感は、人間への明確な不信感へと形を変えていったのではないか。

あくまで私の想像、いやほとんど妄想に近い考えである。しかし、そう思うと酷く哀しかった。

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昨年の京都大賞典と今年の札幌記念。ともにセイウンスカイが優勝している。
前者は無謀とも思える大逃げ、後者は後方からのまくりによって。
セイウンスカイが現役生活を振り返ったときに、
ターニングポイントとしておそらく位置づけられるであろうこの二つのレースで、横山典騎手は似たようなコメントを残している。
曰く「馬任せ」、「馬の行くまま」。
あの緩急を巧みにつけた大逃げも、後方での待機策も、馬主導だったというのだ。
保田調教師もそれを裏付けるような言葉を残しており、どこまでが真実で、どこまでが勝負師としての韜晦であるのか、正直掴みかねている。

ただ、最後のスパートのタイミングだけは、どう考えても騎手によって導き出されているのだろうし、馬もそれに応える形で勝利を物にしてきているのだろう。

セイウンスカイの我が儘ぶりというか気分屋的な面は、これまでにもいくつかのエピソードが伝えられている。
ゲート入りを嫌がるのは有名だが、馬運車からなかなか下りてこなかったとか、洗い場に入るのを嫌がるとか。
回し蹴りが得意で、売られたケンカは必ず買うとか。
自分が納得できないことに後ろから強制されるような事には、とことん抵抗するというような話もある。
同時に、馬房の扉を自分で閉めるというような利口な?一面もあるようだ。
 
多分、セイウンスカイは最後のところで人間に決定権を委ねられない馬なのだ。
先天的なものか、後天的なものかは分からない。
しかし、それは自信と、その裏にある人間への不信に根ざしているのかもしれないと、少し前から私は想像し始めていた。
競走馬として、その気質が彼の能力の発露を阻むに至らなかったのは、「馬に任せた」という鞍上のこれまでの判断や、
彼の我が儘をやんわりと受け止めてきた周囲の人々の愛情に因るものであったかもしれない。そんな風に。

しかし、その気質はとうとう彼自身の命運を蝕んだ。天皇賞という舞台、黒い目覆いという最悪の形を取って。

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彼が人間を信じていないとして、人間の方も彼を信じてはいなかった。
1番人気に推されたとはいえ、その単勝オッズは3.8倍。一時は4倍を越えた。
もしスペシャルウィークが前走を惨敗せず、万全の状態でこのレースに臨んでいたなら。
1番人気の座にはスペシャルウィークがついたであろうし、そうであればこれ程の数字にはならなかったであろう。
そして、その不信は結果となって裏付けられた。彼を信じなかった人間は正しく報われたのだ。

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彼を覆う不信感と彼を満たす不信感とがピークに達したとき、悪い夢のようにそのゲートは開かれた。

彼は、負けるべくして、負けたのだ。

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レースから半月も経たないうちに、彼が放牧に出されるというニュースが流れた。
原因は「全身に残った疲れ」が取れないからだという。漠然としたそのコメントに不安を覚える一方で、納得している寂しい自分がいた。
私のどうしようもない妄想が裏打ちされてしまった気がした。

ゲート前で大量の汗を流していたセイウンスカイ。
スペシャルウィークと同じ位置から叩き出した35秒0という上がりの時計。それは勝ち馬に次ぐタイム。
最後の直線で彼の取った進路は、スタンド席から望み見たあの土星の環のような茶色の帯上であった。

納得できぬままゲートに入れられ、彼の心も躯も極度の緊張状態にあったに違いない。
そんな中でも、速く走ることこそが生き残る術だということは忘れていなかっただろう。
否、不信感に包まれ、自らも不信感にまみれていればこそ、そのことはより強く想起させられたかもしれない。
しかし、そのような状況で最も速く走ることなど到底かなう筈もなく。
彼に残ったのは、全身を覆う疲れ。こわばった筋肉から無理矢理力を振り絞った結果だけだった。

彼の中に私が妄想するような気質が含まれているとしたら、それは多分競走馬には不要なものだ。
不要であるばかりではなく…自らを不幸にするもの。
誰も、彼を繋ぎ止められはしなかった。彼も自らを繋ぎ止められなかった。

繋ぎ止められなかったものは、5歳秋という本来なら充実しているべき時間と、それが含んでいた可能性、同期のライバルたちとの物語、そして、そして?

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今頃、彼は故郷の牧場でゆっくりと休んでいるだろう。2冠を戴いて勝ち得た他馬の倍あるという特別な馬房で。
彼にとっては3年ぶりとなる北海道での越冬である。
雪がゆっくりと草を覆うように、春には解けて色んなものを流していくように。
彼の中の疲れも、悪夢のような記憶も、遠い遠いところに押しやり消し去ってくれる、そんな冬であるように。
次に君に会う時は、私の中の妄想も陽に当たった薄氷のごとくすぅっと解けていく、そんな春であるように。

しかし、その春の到来は随分と遠そうだ。君が帰ってくるとき、私はどんな風に君を見つめるのだろう。

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後記:書きかけのこの原稿に再び向かい合うのが、実はとても恐かったりしました。
   酷くマイナスな妄想を繰り広げていたような気がしていたからです。
   今読んでも、やはり妄想気味であることは間違いないのですが、まとめて掲載することにしました。
   後から屈腱炎が判明したセイウンスカイですが、経過は比較的順調なようです。
   その復帰の時に、こんな文章を書いてしまったことを心底後悔する自分がいたらいい、それはそれでいい。
   現在の偽らざる心境です-(2/3/2000) 

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蒼穹の果て

以下の文章は、ユニオンオーナーズクラブの会報誌「My horse」の2006年3月号に掲載していただいたものです。
このような個人的な感慨を文章にまとめる機会を与えてくださって、ありがとうございました。

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わが心に残るこの一頭(165回)
「蒼穹の果て」 セイウンスカイ

 手元に戻ってきた横断幕には、少し染みが残っていた。雨の天皇賞・春から4ヶ月近く経つ。週末にはこの横断幕を持って、札幌へ発つことになっている。私は早速それをテーブルに広げて、アイロンをかけ始めた。
 横断幕の縁には競馬場の許可証が、文字を囲むようにぐるりと貼り付けられている。98年のダービーから始まり、東京、京都、中山、札幌…、それらはセイウンスカイの足跡と重なり、次の日曜日には10枚目を数える。そしてもう、増えることはない。今回はレースの応援ではなく、彼の引退式を見届けるための旅なのだ。
 シューッとアイロンから噴き出すスチームの音に耳を傾けながら、一文字、一文字をなぞるように細かいしわを伸ばしていく。
 「蒼穹の果てを目指せ Seiun Sky」。
 文字の端はところどころめくれ、汚れや染みも目立ちはじめていた。が、それもこの幕がその場所に在った確かな証。雨も埃もその日の空気も、全て生地に留めるよう熱気を圧しあてる。

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 01年天皇賞・春、セイウンスカイの復帰戦。
 私は京都競馬場に駆けつけることができなかった。TVで観たジュニアCでセイウンスカイに惚れ込んで以来、弥生賞からは何を置いても現地に足を運んでいたのに。
 99年天皇賞・秋の後、セイウンスカイは屈腱炎を患い、長い長い休養に入っていた。その間約1年と6ヶ月。98年クラシック3冠では3強と並び称されたスペシャルウィークもキングヘイローも、既にターフを去っていた。
 私自身にも相応に時は流れ、一児の母になっていた。昼夜なく母を求める生後1ヶ月の娘を置いて淀に出向くのは、どうにも無理だった。
 淀行きを断念した私は、同じくセイウンスカイを応援し続けていたMさんに横断幕を託した。パドックに張れる横断幕の数には限りがあり、GⅠレースの前夜には競馬場の前で徹夜をしなければ確実には張れない。それでも、Mさんは快く引き受けてくれた。
 Mさんはネット上で知り合ったセイウンスカイファンページの管理人だ。私は郵便で横断幕を送った。幕の間にビール券を数枚しのばせて。これは祝杯の足しにしてください、とメールで伝えた。
 4月29日の復帰戦当日、淀は昼過ぎから雨。セイウンスカイは出走馬12頭中6番人気、単勝オッズは22.2倍だった。長期休養明けの初戦、馬体重は14kg増、パドックの映像からも馬体は明らかに緩んでいた。冷静に考えれば「買える」馬ではない。それでも単勝を握っている人々がいる。その何割かは彼を待ちわびた人なのだと思うと、胸の鼓動が高鳴った。
 発走の2時間ほど前、私ははち切れそうな思いを抱えきれず、自分が管理しているネット掲示板にこう記した。遠く離れた空の下で、ただキーボードを叩くことしかできなかった。
 「どうか無事にゲートに入って、無事にゴールしますように。ここまで君もみんなも頑張ったのだから、あとは君の思うままに走ってください」
 結果は連覇を成し遂げたテイエムオペラオーから約16秒離されての最下位入線。3コーナーを前に、彼はTVカメラのフレームから消えた。見事なまでの惨敗。だが、絶望感はなかった。
 12.5-11.8-10.9-11.1-12.0。
 序盤の1000m通過が58秒3。「前へ」という強固な意志以外には、作為も誇りもかなぐり捨てたタガジョーノーブルとの競り合い。凄絶なラップは、彼自身の走りを支えてきた精神の骨格をあぶり出すようで、私は痛ましさと希望を覚えた。この、膝を折らぬ気骨が彼の中で潰えていないならば次はある、と。
 脚元に異常は見られないという続報も、その希望を後押しした。私が記した願いは全て、言葉のままに果たされたのだ。

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 次走は宝塚記念のはず、だった。レース後引退も考えたオーナーに、保田師はもう少し強い調教をして宝塚を目指したいと進言したという。陣営からは、より長い坂路のある栗東で鍛えるべく美浦から出張するという意欲的なプランも伝わって来ていた。
 私はというと、次こそは現地に赴くつもりで、頭の中でその算段を始めていた。
 しかし、それはすぐに覆された。栗東への移動を目前にして流れたのは、セイウンスカイの左肩に不安が生じ北海道に放牧に出されることになったというニュース。天皇賞・春から僅か1ヶ月後のことだった。復帰までの長い道のりを経て、復活へと舵を切った途端に絶たれた道筋……、関係者の心情を想うと胸が詰まった。

 更に決定的な報せは、7月初めに届いた。パソコンのモニターに映し出された引退の2文字。心に残っていた希望の糸がふっつりと切れ、思わず窓の外に視線を逃がした。そこには梅雨明け間近の澄み切った空、感情を放つにはあまりにイノセントな青が広がっていた。
 ぼんやりと想った。あそこが「蒼穹の果て」なのだろうか。なんて深く、遠くに見えるのだろう。視界が微かに震えはじめたが涙はこぼれず、それが一層胸を締めつけた。
 ふと乱れた心の中から、今や引退レースとなってしまった天皇賞・春での彼の姿が浮かび、空の青に重なった。先頭に立とうと力を尽くした2分あまりの時間、彼は届くはずもないあの高みに手を差し伸べていたのかもしれない。98年菊花賞と同じ舞台で。埒もなくそう考えると、彼は彼にしか辿り着けない「果て」を目にしたのだと思い解くことができるような気がした。
 悪い夢のように開いたゲートの先で、5着に敗れ去った99年天皇賞・秋。もしあれが最後のレースであったなら。私の中で、彼は報われぬ2冠馬のまま道に迷い続けていただろう。
 脚元の不安や身体の衰え、自分の意志とは離れた巡り合わせで必ずしも自らが編んだ物語に終止符を打てない名馬も多い中、自身の手であのような幕引きを演じられたというのは一種の奇跡ようにも思える。
 1年半を掛けてあの舞台に彼を蘇らせた陣営と、気骨を失わずに駆け抜けた彼自身の資質とに、私は感謝の念を抱かずにはいられなかった。

 引退のニュースから数日後には引退式の概要が発表され、天皇賞・春以来ずっと横断幕を預けっ放しだったMさんから、私の掲示板に書き込みがあった。未明の投稿だった。
 「横断幕、ながながとお借りして申し訳ございません。札幌記念は走りますよね? 必ずお返しいたします」
 走りますよね? とは馬ではなく私のことだ。横断幕を張るためにパドックの場所取りに走りますよね、という確認のフレーズ。尋ねられるまでもなく、私の心は決まっていた。嗚咽を堪えているかのようなごく短い文面に、私の方がそれを堪えきれなかった。
 そして札幌記念の3日前、Mさんからの荷物は無事に届き、人見知りを始めたばかりの娘を実家に預け、私は札幌行きの飛行機に乗った。

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 8月19日札幌競馬場。メインの札幌記念にはその年のダービー馬ジャングルポケットが参戦するとあって、場内はにぎわっていた。横断幕を張り終えた私は厩舎地区に向かった。
 牧場から直接競馬場入りしたセイウンスカイは、厩舎地区の外れにある検疫厩舎にいるはずだった。勝手の分からぬ私は、勘に任せて奥へ奥へと進み、やがて高い塀に囲まれたエリアにぶつかった。物々しい扉を開け、中にいる人にセイウンスカイの居場所を尋ねると、笑顔で招き入れてくれた。
 真新しい厩舎に、芦毛馬が佇んでいた。額から鼻筋にかけて大分白くなり、胴には綿雪のような銭型紋が浮いていた。脚元はともかく、体調は良さそうだった。
 私は引退式の前から種牡馬としての繋養先であるアロースタッドに向けて出発するまで、彼と彼を育て導いてきた人々と共に過ごした。それは拍子抜けするほど穏やかで、そして温かな時間だった。
 実のところ、私はセイウンスカイの顔を見たら泣いてしまうのではないかと自分の心持ちが不安だった。しかし、飄然とマイペースを貫く彼の様子を眺めていたら、一体何に囚われて何が悲しかったのか分からなくなるほどに、心が凪いでいった。
 引退式は、高い高い秋空の下で執り行われた。ひとひらの雲もない、碧天。皐月賞も菊花賞も晴れ渡っていたが、この日の空はこれまでの記憶にないほど格別に澄み切っていた。セイウンスカイという名の妙なる巡り合わせに、感じ入る他はなかった。
 札幌記念勝利時のゼッケンをつけ、スタンド前の直線をダグで往復し、ニンジンの下がったお祝いのレイを肩に掛け記念撮影に臨んだ。その間も、気に入らないことがあれば後脚で立ち上がるなどやんちゃな素振りを披露し、スタンドで見守るファンの笑いを誘っていた。

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 そんな彼と彼の頭上を覆う空を仰いで、私は胸の中で呟いていた。

 君を追い続けて本当に良かった。
 君は私を競馬に、競走馬に、君を巡る人々に、なにより君自身に、惹きつけて止まなかった。
 君のおかげで、色んな場所へ行き、人に出会い、激しく心動く時を過ごしました。
 君は速くて、強くて、気分屋でした。納得できねば人にも馬にも屈しない、頑固者でした。その気性は時に、君自身に刃を向けたけれど。
 逃げ馬なのか、ステイヤーなのか。結局最後まで私に君のことはよく分かりませんでした。
 君は一頭のサラブレッドでありながら、私がつれづれに仮託するイメージの集合体でした。
 私にとって君は真の「逃げ馬」でした。
 今も。たぶん、これからも。

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 馬運車で彼が競馬場から旅立つのを見送り、さっきまで彼のいた馬房に戻った。板壁には彼が後脚で蹴り破った跡が残され、寝藁の少しへこんだ辺りをガラスの小窓から射し込んだ光が照らしていた。まだそこに、彼の息遣いが聞こえるようで、この日初めて寂しさが胸を突き上げてきた。
 もうすぐ、札幌記念の出走馬たちがパドックに姿を現す時間だ。私は主を失った馬房の光景を写真に収め、検疫厩舎を後にした。

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『』バトン

敬愛しているまはる殿下@殿下執務室より、
2本目のバトンを賜りました。
お題は『競馬』。
セイウンスカイ原稿のウォーミングアップに、
筆を滑らせてみましょうか。

◆Q1.家の中に置いてある『競馬』は?
本や雑誌はかなり多いです。
狭い官舎なので、家族の棲息環境を改善するためにも
少しは整理しないといけませんね~。

雑誌・新聞類は優駿(96年~)、週刊競馬ブック(97年~)、
季刊「名馬」、
あとは特集などで興味を惹かれた号のサラブレやGallopも少々。
書斎の競馬、Numberの競馬特集号、
競馬通信大全や年鑑などなど。
東スポの中抜きも結構残っています。
あとは、セイウンスカイの記事が載っているスポーツ新聞。
菊花賞を勝ったときは入手できる全紙を買いましたね。
あの時は気持ちよかったなぁ。

本はちゃんと数えていないけど30冊くらい?
一番大切なのはやっぱり「文字のパドック」。
次には「競馬の血統学」かな。
積ん読しているのも何冊かあり。

レープロや記念単勝馬券、外れ馬券、
オッズカード、テレホンカードなどもあります。
これらは箱にどさっと投げ込まれたまま、未整理です。
なかなか捨てられないんですよね。。。
久しぶりに開けてみたらライトオンファイアの単勝馬券とか出てきて、
思わず涙しましたよ。

サイレンススズカのヒーロー列伝ポスターが、
物置兼おこもり部屋に掲げてあります。
この部屋には他にカレンダーが2つ張ってありますが、
どちらも2000年版。
8月札幌記念で時が止まっています。

寝室の壁には蹄鉄が3つ。
1つは農林水産祭のJRAブースで頂いた打つ前の新品。
ピカピカ光っています。
もう1つは夫の知り合いの方から頂いたもの。
マチカネハレスガタが履いていた鉄。
最後の1つは宝物。
サラブレの抽選で当たったセイウンスカイの鉄。
京都大賞典の時に履いていたものだそう。
蹄鉄は幸運を招くアイテムと言いますが、果たして。

グリーンチャンネルの特番や
競馬番組を録画したビデオが20本くらい。
ただいまHDDレコーダーに少しずつ落としています。
DVDはセイウンスカイ、エアグルーヴなど。
あ、シービスケットもあります。

追記:大事なモノを忘れていました。
    「蒼穹の果てをめざせ Seiun Sky」
    セイウンスカイの横断幕。大事にしまってあります。
    あれは柩に入れて貰おうかと。

◆Q2.今妄想している『競馬』は?
セイウンスカイ産駒がG1制覇!
脚質は問いません。
できたらジャパンカップか春の天皇賞でお願いします。
って、まだ中央未勝利なんで、ホントに妄想の域を出ませんが(^_^;;;

◆Q3. 最初に出会った『競馬』は?
競走馬に初めて出会ったのは小学生の頃。
小学1年生の時に引っ越した
自宅の道を挟んで向かいが屠殺場で、
牛や豚の他に馬も時々運ばれてきていました。
その馬たちは大抵、メンコをしていて、
それを見てこれは競馬の馬なんだと思っていました。
メンコ=競馬という知識をどこで得たかは記憶にありませんが…。
競走馬がこの場所で肉にされると言うことについて
深く考えたことはなかったです。
ただ、馬に触れるのがうれしくて、
台所から人参をくすねてよくあげにいってました。

『競馬』の存在を意識したのは大学生の頃。
サークルの後輩達が競馬の話で盛り上がっているのを
ちょっぴり奇異の目で眺めていました。
トウカイテイオーとかビワハヤヒデとかの名前が
彼らの会話に登場していた記憶があります。

自分が『競馬』に出会ったのは就職した年。
同期の連中が開いていた予想大会に96年秋競馬から参加して、
その年の有馬記念で初めて中山競馬場に行きました。
競馬場なのに、人の頭で殆ど馬は見られませんでした。

◆Q4.特別な思い入れのある『競馬』は?
殿下に倣って「レース」を軸に。

・フェブラリーS:メイセイオペラ(人馬のコンビが素敵でした)
・高松宮記念:キングヘイロー(ここで勝つのかという驚き)
・桜花賞:キョウエイマーチ(泥んこ馬場での圧勝。初めてその強さに惹かれた牝馬)
・皐月賞:サニーブライアン("逃げ馬"との衝撃的な出会い)
・天皇賞春:スペシャルウィーク(おそれていた先行策。完膚無きまでに叩きのめされました)
・NHK:エルコンドルパサー(無敗の戴冠。素直にスゴイと思った)
・優駿牝馬:スマイルトゥモロー(強烈な差し脚とその後の暴走が印象的)
・東京優駿:アグネスフライト(初めて自分の予想が的中したダービー)
・安田記念:アドマイヤコジーン(初めて仕事で書いた馬。骨折とその後の不振を乗り越えての戴冠)
・宝塚記念:ヒシミラクル("長くいい脚"とはこういうものか)
・スプリ:カルストンライトオ(1200m戦で逃げてあれだけの着差を付けたというのが驚き)
・秋華賞:ファレノプシス(誇り高く、ここ一番では負けなかったという印象のある牝馬)
・菊花賞:セイウンスカイ(4コーナー合流地点で独走態勢。至福の瞬間)
・天皇賞秋:エアグルーヴ(僅かでも前へという意志とその体現。美しい)
・エリ女:トゥザビクトリー(あれだけ白熱したゴール前というのもなかなかない。名手・名牝の競演)
・マイルCS:エアジハード(応援馬が頂点を極めたというヨロコビ。香港で走れなかったのが残念)
・JCダート:クロフネ(武蔵野Sで半ば勇み足で記した予感が見事に具現化。呆れかえるような強さ)
・ジャパンC:タップダンスシチー(向こう正面で勝利を確信。至福のレース2)
・阪神ジュベ:スティンガー(私的元祖天才少女)
・朝日杯:グラスワンダー(私的元祖天才少年)
・有馬記念:サクラローレル(競馬の熱さに触れたレース。仲間と現場で見る楽しさを知った)

宝塚記念はタップダンスシチーかヒシミラクルかで
かなり迷いました。
どちらのレースも鳥肌ものでした。
自ら競馬を動かそうとする人馬には無条件に惹かれます。
それで勝ち切るのならなおさらに。

有馬記念もどのレースをピックアップするか悩みました。
このレースは自分としては負け続きで、
毎度涙をこらえつつ船橋法典駅のホームで
帰りの電車を待っているんですよね。
心底楽しかったのは上に挙げたサクラローレルの時だけのような。
それでも、来年こそはと思ってしまう、
それが『競馬』の蠱惑的なところでしょうか。

◆次に渡す人。
 お題は『競馬』で。もしよろしければ、受け取ってくださいまし。

・たか・かずさま@PRAYERS'pharmacy BLOG
・みずたまさま@ゴールデンタイム

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ラストランに寄せて

昨日の明け方、某所で記した一文です。
引退式も見届けてきました。
無事に走り終えてお疲れさま、ありがとう
という気持ちでいっぱいです。

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脚を止めたら…
そこが旅の終わり。

数年前、木村拓哉がイメージキャラクターだった年の
JRAのコピーの1つだ。

彼の戦歴を改めて見直す。
タップダンスシチーの最後の一年は余禄、余録であったか?
もし、去年の有馬記念で
ゼンノロブロイに交わされることなくゴールしていたら、
きっと彼の旅はそこで終わっていたのだろうと思う。
7歳で両グランプリを制した名馬として、華々しく。
あの年、凱旋門に辿り着くことが
物理的に不可能だったならば、
有馬記念で半馬身前にいたのは彼の方だったかもしれない。

だが、あの凱旋門があり、
今年のジャパンカップがあり、
いずれも二桁着順に終わったのだが、
それこそが、
彼にしかできない唯一無二の旅であったと、私は信じている。

決して、この一年は余録ではなく、
そして明日のレースも。

佐々木師が
「記録に残るような競馬というのは年齢的に無理かな」と
淡々と語っているのを視た。
少し前なら、彼の年齢表記は9歳。
常識的に考えて、やはり無事完走できれば御の字と
するべきなのだろう。

この先、
ジャパンカップのレコードタイムを目にするたび、
私は彼の素晴らしい脚どりを鮮やかに思い出すだろう。
明日、彼が再びその役を引き受け、
力を尽くすことができたなら、
たとえ彼自身が勝利者となれなくとも、
身を震わすほどのレースが目前で繰り広げられるはずだ。

逃げ馬が、レースの演出者としての
一面だけを取り上げて語られるたび、
そのことに嫌悪感さえ抱いてきた。
だが、
そんな風に、旅を終えることができるのなら、
そんな形で、勝者に何かを託すことができるのなら、
私は彼の脚どりそのものを祝福したいと今は思う。

なればこそ、敢えて私は願う。
純粋に、ただ勝つために逃げろ。
そして、脚が止まったら、そこが旅の終わりだ。
それがゴール板の先であることを、私は祈りたい。

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元種仕込み

 生ワイン+水+砂糖+干しイチジクを空き瓶に入れて酵母を起こしはじめて約1週間。タイミングを逃して、ちょっと酵母さん達の元気度はピークを超してしまったようにも思えるけれど、まだまだ細かな泡が立って発酵してます。
 今夜、この瓶の中身をお茶パックで漉して、エキスを搾り取りました。このエキス80ccと南部小麦粉の全粒粉100gを合わせてスプーンで混ぜ混ぜ。ガラスの保存容器に入れました。明日の朝、どのくらい膨らんでいるか楽しみ…とはいっても、明日は取材でパン作りはできません。明後日もどうかなぁ…。なかなか腰を据えてパン作りの時間がとれないのが、ちょっともどかしい。明日の朝、元種の様子を見て、元気なようなら冷蔵庫でしばらく眠ってもらいましょう。
 エキスは今回を含めて3回分はありそう。1回はダッチオーブンでパン焼きに挑戦したいなぁ。

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the WINNER,CE-SAH-RIOOOH!!

 表題は殿下のレース実況テキストより。
 実はまだ、結果を知っているだけで、レースを見ていません。JRAのページではストリーミング映像が参照できるようですが、1時からのグリーンチャンネル再放送を待つつもりでこのテキストを打っています。

 スペシャルウィークは青年未満とでも表現すべき線の細い体つきと生真面目なレースぶりが一種の透明感を醸し出していた、とても好きな牡馬で(アイしてたのはセイウンスカイだけどさ)、種牡馬となっても応援していました。
 昨秋11月、吉沢氏の血統話をじっくり伺う機会があったのですが、その時に、これから期待している種牡馬としてジャングルポケットを筆頭に挙げられた上で、「本当は」スペシャルウィークに期待していた、日本の牝系を世界にアピールできる可能性を秘めているから…と半ば過去形で語っていたのが印象的でした。当時、すでにスムースバリトンが頭角を現しつつあったのだけれども、インティライミは1勝馬、シーザリオはデビュー前という絶妙な?タイミングだったわけですが。
 期待と失望がないまぜになったそのコメントは、以降、産駒たちのレースを目にするたび心の隅にあって、氏の過去の期待が現在のモノとして蘇るよう願っていました。このシーザリオの海外遠征のニュースに触れたときも、氏はどの程度期待しているのだろうか、私が彼女の勝利を夢見ているそのベクトルよりも深く、遠く、思索を巡らせているのだろうかと勝手に想像していました。
 彼女の勝利を、スペシャルウィークの種牡馬としての未来予想図を、氏がいかに語ってくれるのか、1ファンとしてとても楽しみにしています。

 シーザリオ、彼女を巡る人と馬、みんな、おめでとう。私はこれから遅い祝杯をあげるつもりです。

 余談:今年の赤本で吉沢氏が新種牡馬の穴馬としてセイウンスカイを挙げていたのを、とっても嬉しく読みました。スペシャルウィークと同じキセキを辿ることを祈ってます(^_^)

 追記:グリーンチャンネルの再放送、見終えました。圧勝、と伝え聞いてはいたけれども、これ程とは。残り600m、府中ならば直線の入り口。コースの形態がまるで異なることは知りつつも、そこで先頭を奪りにいく強靭さに震えました。父が鋭さの裏に脆さも垣間見せていた4歳時を経て、5歳春で辿り着いた地平。彼女はすでに、そこにいるのかもしれない。酔っぱらいつつ、そんな妄想を抱いて。さて、寝ましょうか。競馬の神様、ありがとう。

 追記2:当初タイトルに「she catch the WINNER, CE-SAH-RIOOOH!! 」とコピペさせて貰ったのですが、これで切り取るのって実は全然おかしいじゃん、と気が付いて修正。英語は昔も今も、ダメダメです。。。

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酵母おこし

 菌マンガ?「もやしもん」を読んだら、久々に酵母を起こしたくなりました。昨秋に買った生ワインがまだ野菜室にちょっぴり残っていたので、これを広口瓶にうつして水で3倍くらいに薄めます。砂糖もちょっと加えてみました。生ワインの半分は飲んでみたら、まだまだ美味しかった(^_^) ちなみに、これは井筒ワイン。ここのプレスランの白は料理用によく買うのだけど、飲んでも結構美味しくて、ついつい料理のついでに飲んでしまいます。
 生ワインの酵母はと言うと、半日経ってもごく細かい泡が立つだけでイマイチ元気が出ないようなので、菌オタクの友だちHさんに相談して、台所の引き出しのすみに残っていた古いドライイチジクを加えてみることにしました。
 ドライイチジクには元気な菌が付いていたみたいで、半日で勢いよく泡が立つようになり、ふたを開けるとぷしゅっと音がしてほどよい香りが立つようになりました。

 菌を起こしはじめて今日で3日目。明日あたり、元種を作るとしましょう。久しぶりのパン作り、ああ楽しみ。

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男心?

 翠には同い年の龍くんという友だちがいる。ままとーんで出会って、親子で仲良くさせて貰っている。龍くんの方が半年おにいちゃんで、翠にとって最もつきあいの長い友だちだ。絵の描き方、言葉、遊びetc...色んな場面で、彼の影響を感じることも多い。でも、2人とも入園した今春からは、一緒に遊ぶ機会がだいぶ少なくなってきた。

 今日は、龍くんを助手席に乗せ、翠と樹はいつもどおり後部座席のチャイルドシートに座らせて出かけた。その車内で、翠と龍くんの園生活の自慢比べが始まった。そして、話題は園でのお友だちの話に。龍くんは「幼稚園でとっても仲のいい友だちは誰?」と翠に尋ね、「僕はね…○○君と○○君だよ」と得意げに話す。そして「女の子でもね、お友だちが1人いるよ。○○ちゃんっていうんだよ」と続けた。そして、思わず笑ってしまったひとこと。「…でもね、翠ちゃんは会わない方がいいと思うよ」。
 翠はただただ、へぇ~という調子で聞いていたが、私はハンドルを操りながら、思わず吹き出してしまった。会わない方がいいって、どういう意味?何でそうなるの~?思わず、大人な解釈をしたくなってしまう。
 一旦会話はその○○ちゃんから逸れたが、また思い出したように龍くんは翠に言った。「○○ちゃんってね、とってもかわいいんだよ」。なぜ、そこで唐突に○○ちゃんについてダメ押しのようなコメントが入るの~?心の中でツッコミを入れつつ、翠の反応をうかがったが、まるで無関心。へぇ~、そうなんだ~、という以上のリアクションはない。端で聞いていると、○○ちゃんについてはまるっきりかみ合ってないのに、それでも淀みなく会話は続いていくのが、また妙に可笑しい。
 またまだ4歳の男の子、全然含むところはないのかも知れないけど笑っちゃう。ドライブの後、龍くんのお母さんにその会話について報告したら、彼女も爆笑していた。男の子とか女の子とか、その関係をちょっぴり意識し始めた龍くんに対して、たぶんほとんど意識してない(男女の区別はしているけど)翠。龍くんの後をまるでトレースするように成長してきた翠だけど、半年後どうなっているのかな。楽しみなような、ちょっぴり恐いような。

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I LOVE CHEER!

 ままとーん6号の取材で、体験にうかがった縁もあり、今年の春から翠は「TSUKUBA ALL STAR CHEER」のリトルクラスに週1回通っている。体験で初めてチアリーディングに触れたときから、翠の目は輝いていて、毎回レッスンを終える度に「とってもとってもとってもとっても…楽しかった!」と繰り返すくらい、気に入っているようだった。
 最初は体を動かすのが好きだし、チアのコスチュームを着せたら可愛いだろうなぁ~くらいの気持ちで勧めてみたのだけど、こんなにはまってくれるとは思っていなかった。

 ところが、通い初めて6回目という今日、園から帰って昼寝をさせた後「さぁ、チアに行こうか」と促すと、目に涙をいっぱい溜めて、「行かない」と言う。えええええぇ~どうして!?と心の中で動転しつつ、「どうして行きたくないの?」と聞くと、「行きたくないから」とオウム返し。前回のチアで何かあったんだろうか、体格も小さいし、みんなから遅れ気味なところもあるから、それで嫌気が差しちゃったんだろうか、などと憶測が胸の中を巡り始める。
 なおも涙をぽろぽろ流している翠に「どうして行きたくないのか、教えて」とたずねると、しばらく言いよどんだ後、「眠たいから」と答えた。ホンマかいなと思いながら顔色を見ていると、ホントに眠たそうだ。そして「まだ、寝るのぉ~」とぐずりながら、布団に横になろうとする。ええ、ちょっと待ってよ。眠たいからお休みなんて、そんなコト言ったら何事も続かないよ、とにかく体育館まで行ってそれでもやりたくなかったらやらなくていいから、となだめすかして連れて行った。

 体育館では既にレッスンが始まっていた。出ようとしたのがぎりぎりの時間だったのに、間際のいやいやえんで遅刻決定。それでも、みんなが体を動かしているのを見れば、すぐに自分も加わるだろうと思っていたら、私のそばから離れようとしない。いつもは体育館に着くなり、私を振り払うようにして駆け出すのに。そしてやっぱり「眠い」という。
 眠いなんて嘘なのかなぁ。ホントにチアが嫌いになっちゃのかなぁ、みんなあんなに楽しそうなのに。早生まれだから、本人も色々大変かも知れないけど、こんなにころっと挫折されちゃうのも困るなぁ。翠の楽しそうな顔を見たくて通わせてみたけど、実は親の押しつけだったのかなぁ…。
 館内に響き渡る「マツケンサンバ」のメロディとは裏腹に、ぐるぐるネガティヴ思考モードに入ってしまう。そんな私の気持ちを頓着することもなく、翠は体操座りをしたまま手足の先で軽くリズムをとっている。「みんな楽しそうだよね~。翠も行ってみなよ」などと再三促すも、「今日はやらない」の一点張り。そのうち、ま、こんな日もあるかぁ~、翠だって365日いつも元気いっぱいって訳にもいかないよなぁ~、とあきらめの心境に。結局翠は、レッスンに最後まで加わらなかった。
 そのくせ、メンバーズカードに参加した印のスタンプを押す時間になると、その輪にそろそろと近づき、加わっていった。コーチも何事もなかったかのように、にこやかにスタンプを押してくれる。スタンプが10個たまると、新しい色のカードに切り替わり、ちょっとしたプレゼントが貰えるらしい。翠はニコニコしながら「あと4個で、プレゼントなの~」と涙目はどこへやらケロッとしてのたまう。来週からしばらくお休みさせて貰おうかなぁ、夏休みあけくらいから再開すれば気分も変わっていいかもなぁ、なんて考えていたところなのに。拍子抜けしながら「来週もチアに来るの?」ときくと、「来るよ」と即答。レッスンを終え、体育館の中を遊び回る女の子達に混じり、すっかり元気を取り戻した様子で駆けまわる翠を見ながら、やっぱりやっぱりさっきはただ眠たいだけだったの??と呆気にとられてしまった。

 家に帰ると、「ねぇねぇ、あいりぶちあーって知ってる?」と翠は私に尋ねた。今日のレッスンでコーチがみんなに教えていた言葉だ。「それはね、あい・らう゛・ちあー。私はチアが大好き!って意味の言葉だよ」と教えると、「ふーん、そうなんだー」と言って、「あいらぶちあー、あいらぶちあー」と勝手に節をつけながら部屋の中で踊り始めた。そして「GO! FIGHT! WIN!」と掛け声を掛けながらポーズの練習をしている。あまつさえ、「ココはね、手をまっすぐだよ。こうね、こう」と偉そうに樹に向かって掛け声とポーズの指導をしたりしている。そういうのはレッスンの時にやってよ~。レッスン代だってタダじゃないのよ~と心の中で半べそをかきつつ、次回からは園のさよならのあと、園庭で中途半端に遊ばせたりせず、シッカリ家で昼寝をさせてから出ることにしよう、絶対そうしよう、と決心する私だった。

 ま、何はともあれ、チアが好きってことが分かっただけでも良かった。笑顔が弾けて、目が輝いていた!と私が感じていたのは親の勝手な思いこみじゃなかった、ということで。I LOVE CHEER、応援してるからね。

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